私は又曽て「現代医学とマルクス主義」と言う一文を書いた事がありますが、之は資本論をかいたマルクスの錯覚と現代医学者の錯覚とがよく似ているから試みに比較論をしてみたのであります。例えば現代医学者は症状に現われた病気の研究を実によくしています。肺病の黴菌はどんな形をしているとか、或はそれが繁殖すると肺がどのように侵されるとか、レントゲンで写真を撮ればどの様に写るとか、糖尿病がどうだ、とか、胃潰瘍がどうしたとか、実に微細に色々と病気の研究をしています。そうして其の各々の病気に対する投薬の法をも熱心且微細に研究をしています。

　然し現代医学者が如何に多く其の様な智識を持ってもそれが既に現われた病気を追いかけて廻るものである限り、決して人間の無病健康時代は来ないのであります。若し人間を真に無病健康にしようと思うならば須らく人間が病気にかかる以前に着目し、人間を病気にかからせない為の原理をつかんで来て、之を万人に教えなければならぬのであります。

　マルクスが商品や、資本や、労働や、貨幣や、剰余価値等の事を科学的に研究してその間に存する社会の 不合理を細々と指摘しているのは、恰も現代医学者が人体に現われた症状を最も科学的に且つ微細に研究しているのと同じであって、どちらもつまらぬ智識であります。

　若しマルクスが真に斯様な社会相を憂えるならば、既に形に現われた其の様な社会相　−　即ち症状と取阻む事を止め、その様な社会相の現われる所以の根源を絶つ為に正しい宇宙観、世界観、人生観の把握に基づく人間の心構えの変更を教えねばならなかったのであります。

　蓋し仏者の言う如く、三界は唯心の所現であって、人々の心の持ち方が変ればマルクスが眼に見た処の商品や資本や、労働や貨幣などの性質も変り、従って又マルクスの眼に見た処の社会相も明らかに変更されるからです。現に此の頃の事業経営者等の中には、自己の営利を目的とせず、専ら社会奉仕を目ざしてマルクスなどの想像もしなかった型の労資協力の実を挙げつつある者が各所に少なからずあります。（拙著「人生を楽観すべし」参照）これは人間が其の心の持ち方を変えさえすればそれに伴うて、社会相も又変ると言う事を実証するものであります。

　そこに心づかなかったマルクスは恰も病源を絶つ事を知らずして頻りに病気と取組んでいる現代医学者と好一対の錯覚者であったのです。